アボリジニとは・・・?

《こんな民族・・・!》 
 「民族として、アボリジニは、礼儀正しく、行儀よく、慎み深く、気取らずに、陽気で、冗談と笑いを好み、物真似が上手である。荒っぽい馬鹿騒ぎのときでさえ、癇癪(かんしゃく)を起こすことはほとんどない。ある者は、含蓄ある蘊蓄(うんちく)あるユーモアをもっている。彼らは生まれつき、率直で開放的で人を信じやすく、あらゆる種類の不自由に直面していても快活な性向を持ち、朗らかである。ときどき、彼らは非常に繊細(せんさい)な感覚を示す。多くのことで、アボリジニは実直誠実である。そして、その道徳は、才能と教えによって、一般の無教育白人と同じくらいの高さにある。部族間の礼儀作法は厳格で、その違反は闘争にいたる。多数のアボリジニはたいへん勇敢である。」  −『オーストラリア百科事典』1925年版より−

《こんな歴史が・・・!》
1788年に最初の白人入植者がイギリスから到着してから、二百年以上が経つ。この国はオーストラリアとして建国され、発展してきた。しかし、テラ・ヌリウス(主のない国)と思われたこの広大な大陸には、キリスト誕生の4、5万年も前から、先住民であるアボリジニの人々が暮らしていた。
 東南アジアからオーストラリア大陸に渡来したと考えられているアボリジニは、一カ所に定住せず狩猟採集生活を送ってきた。文字を持たなかった彼らは、生活の知恵をはじめ、儀式の方法、部族の歴史まで、あらゆることを口承(こうしょう)で伝えたが、中でも神話や伝説は重要なものであった。彼らは、大地と深く結びつきその恩恵を受けながら暮らし、自分たちも大地の一部と考えていた。大地には精霊(せいれい)や祖先の魂が満ちており、その教えは伝説として語り継がれたのである。白人の入植が始まった頃、アボリジニの人口は推定30万人で、さまざまな言語を持つ六百から七百の部族に分かれていたと言われる。その後、被征服民族としての不幸な歴史の中で人口は大幅に減少してしまい、さらにオーストラリア建国後は、文明の名のもとに行われた「同化(どうか)」政策のもと、文化消滅(ぶんかしょうめつ)の危機に瀕(ひん)した。

(伝染病などの影響もあり、1950年代初めには、混血を含めて約7万人、そのうち
純血は 4万人弱と言われるまでに減少した。しかし、連邦政府の保護政策が徐々に
進行し、現在は20万人を越えるまでに回復している。ただ、純血の人口はそれほど
増えていない。純血種ほど放浪癖(ほうろうへき)が強く、保護が行き届きにくいか
らであろうか。)

しかし、この半世紀の間に彼らの権利回復の動きが高まり、アボリジニ文化も尊重されるようになってきた。神話や伝説の中に語られる彼らの精神世界、独特の宇宙観は彼らのアイデンティティーそのものなのである。
 アボリジニの人々の独自の世界観、宗教観は「Dreamtime」「Dreaming」という言葉に表されている。「Dreamtime」とは彼らにとって、天地創造の時代のことである。大地が生まれ、宇宙が創造され、動植物が独自の形になった遙か昔、全能の神や精霊たちが活躍する時代を「Dreamtime」(夢の時代)と言うのである。アボリジニにとって祖先は常に身近な存在である。現代と過去の隔たりは曖昧(あいまい)で、神話を語ることで彼らは今も「夢の時代」の頃を生きており、それが「今を生きる」アボリジニの人々の証(あか)しであり、誇りなのかもしれない。

《こんな言葉が・・・!》

イェ →太陽(女性) ダンゲル →水場
ウィーブルー →火 ディンジャーラ →西
ウィーリービューン →少女、女性 ディンナーワン →エミュー
ウーエーフー →雨 ドゥーラン・ドゥーラン →北風
ウォッギー →平原 ドゥルーマイ →雷
ガッバ →良い ナーウォー →イエス
ガーバラー →北 ナンバーディー →母
ガヤーダリー →カモノハシ ヌールーブーアン →南
カーラジョン →木 バーギー →祖母
ガリー →水 バッベラー →戻ってくるブーメラン
ガリーメアー →水を入れる袋 バールー →月(男)
カンブーラン →東 ビッラリー →赤ん坊
グーナグラー →空 ベライベライ →若者達
グーンドゥーイ →孤独な エミュー ワール →ノー

《こんな伝説が・・・!》

アボリジニの人々は、膨大な量の「夢の時代」の伝説を伝えてきた。
その多くは、毎日の生活に大切な、さまざまな動物の起源や特性を代々語り継いでいる。

夢の時代:アボリジニの考える天地創造の時代。大地が形成され、人間も含めた動植物が生命を与えられた時代とされる。


「夢の時代」が始まってほんの間もない頃、この地にはカンガルーは一匹もいなかった。
 ある日、男たちが狩りに出かけると、突然今まであったこともない、ひどい暴風に見舞われた。大木はなぎ倒され、小さい木は風に飛ばされ、巨大な石は、まるで子どもの石けり遊びの小石のように舞い上がった。
 ハンターたちは、幸い安全な洞穴(どうけつ)にたどり着き、避難(ひなん)場所の中に座って、嵐が過ぎ去るのを見ていた。しばらくすると、驚いたことに動物たちが一かたまりになって風に流され、空を飛んでいくのが見えたが、それは今まで見たことがない動物たちだった。
 男たちは信じられないというように首を振り、この得体の知れないものは何か話し合い、「きっと、仲間の誰もが行ったことのない遠いところから、風に乗って運ばれてきたものに違いない」と考えた。
 その動物たちはかなり大きく、全身毛に覆われていて、小さな頭と短い前足がついていた。烈風(れっぷう)にあおられて、本当に疲れ切っているのが一目でわかった。何とか地面にしがみつこうと、やっきになって前足と尻尾を思い切り伸ばしていた。
 ハンターたちは、動物たちが必死(ひっし)に風に立ち向かっているのを、洞穴からじっと見ていた。やっとのことで、そのうちの何匹かが、何とか足と尻尾を引っかけるところを見つけ、固(かた)い土壌(どじょう)にしがみついた。嵐が過ぎ去ろうとしていた。するとそこには、必死(ひっし)で踏(ふ)みとどまっていた動物たちがとり残されていた。じっと見つめていたハンターたちはこの時になって、死(し)に物狂(ものぐる)いで地面をつかもうとしているうちに、体を伸ばし過ぎてしまった動物たちの姿を見ることができた。後ろ足と尻尾は、残りの体の部分とまったく釣(つ)り合いが取れないほど、長くなってしまっていた。何ともおかしな様子ではあったが、当の動物たちは一向(いっこう)にお構(かま)いなしのようだった。おそらく安全な地面の上にいることが、よほど嬉(うれ)しかったのだろう。
 ここまでのところ、ハンターたちはこのすべてのできごとを、いい話の種になる、驚(おどろ)くべき事件だと思いながらじっと見つめていた。当然、動物たちは故郷(こきょう)に帰ろうとしてすぐに走り出すものと、ハンターたちは思ったのだ。ところが、動物たちは疲労困憊(ひろうこんぱい)してはいるものの、好奇心(こうきしん)旺盛(おうせい)のようだった。動物たちは日陰(ひかげ)と草と水を探し始め、それらをすぐに見つけた。ここが、動物たちが住みたいと思っていた所にぴったりの、まさに理想(りそう)の場所だったのだ。彼らがその場所に残ろうと決めたことは、すぐにはっきりした。
 今ではカンガルーは、オーストラリアのブッシュヤ山岳地帯(さんがくちたい)のほとんどと同じように、アーネムランドにも数多くいて、自由気ままに歩き回っている。


〜カモノハシの生まれたわけ〜


創生期(そうせいき)のオーストラリアのこと、最初の人間たちが沿岸(沿岸)地域から内陸へと移動を開始し、最初の動物たちが安住(あんじゅう)の地を探していた頃のことだ。あるところにカモの群(む)れがいた。どのカモも皆、非常に臆病(おくびょう)で、他のどの生き物とも交わるのを避け、大きな川の土手(どて)の片隅(かたすみ)でひっそりと暮らしていた。それにもかかわらず、彼らは平和な暮らしに満足しており、危険を冒(おか)して外の世界に出て行こうとするものはほとんどいなかった。
 しかし、とうとう一羽の幼い雌(めす)ガモが、こんな暮らしに退屈(たいくつ)してきた。時々、じっと遠くを見つめては、「あーあ、この大きな川の流れはどこまで続いているのかしら?」と思いを巡(めぐ)らせるのだった。彼女は毎日少しずつ川を下る距離(きょり)を伸ばして、目の覚めるように美しい世界をのぞきに行った。夜遅く戻(もど)る彼女が、群れの仲間たちに叱(しか)られたことは言うまでもない。
 「危(あぶ)ないじゃないか」皆は口々に警告(けいこく)した。「いいかい、仲間から離れたらだめだよ。さもないと恐ろしいことが起きるんだよ」でも小さなカモは、常にそんな言葉を笑い飛ばしていた。
 「だって、それはそれは素敵(すてき)なところなんだから。悪いことなんて起こりっこないわ。大騒(おおさわ)ぎするのはやめてちょうだい」彼女の答えは決まってこんな風で、朝が来るとまたいそいそと冒険(ぼうけん)へと出かけて行くのだった。
 もし本当のことがわかっていたとしたら、彼女の行動は少し軽率(けいそつ)だった、と言わざるを得ない。その理由は、川の周辺(しゅうへん)には、ムロカという名の恐ろしい水の精霊(せいれい)が漂(ただよ)っていたからだ。ムロカはこれまでにも何度か若いカモを捕(つか)まえたことがあるという噂(うわさ)があり、さらに恐ろしいことに、ムロカに捕まったカモたちの姿を再び見たものは、誰もいないのだった!そんな理由から、年長のカモたちは、絶(た)えずこの小さな雌ガモのことを心配していたのだった。ところが、向こう見ずな若者の常(つね)で、彼女も自分に危険が迫(せま)っていることなど信じようとはしなかった。
 よく晴れた日差しの強い日のこと、小さなカモはさらにずっと遠く、今まで一度も行ったことのない距離まで川を下ることにした。やがて陽も高くなった頃、いかにものどかな川の土手で、暖かい日差しを浴びながら休憩(きゅうけい)することにした。柔(やわ)らかい草の上、気持のいい場所に腰をおろし、小さなカモは心から満足し、自分が誇(ほこ)らしくなった。
 突然、蔓(つる)で編(あ)んだ頑丈(がんじょう)な網(あみ)が落ちてきて、この平和でのどかなひとときは、一瞬のうちに崩(くず)れ去ってしまった。小さなカモは半狂乱(はんきょうらん)になって、その網から逃れようとバタバタ跳びはね、大声でガーガー泣き叫んだ。
 「おとなしくするんだ、馬鹿な小さなカモめ」ひときわ大きな声が響(ひび)き渡った。「俺様はムロカ様だ。俺様に捕(つか)まったら最期(さいご)、もうおまえは絶対に逃げられない。じたばたしたって始まらないぞ。さあ、それがわかったら黙ってじっとしていることだ」これを聞いた小さなカモは、恐怖(きょうふ)のあまり体が凍(こおり)り付いた。がたがた震(ふる)えながら泣きじゃくってしまった。この恐ろしい状況(じょうきょう)から逃げ出す方法はどこにも見つからなかったからだ。
 その時、奇跡(きせき)のように救(すく)いの手が現(あらわ)れた。彼女の目には、親しげな生き物が自分を助けに来てくれたと映ったのだ。それは巨大な水生ネズミだった。ネズミは年寄りで醜(みにく)かったが、小さなカモにとって、そんなことはどうでもよかった。ネズミの外見(がいけん)はどうであれ、小さなカモは嬉(うれ)しさでいっぱいだった。
 獰猛(どうもう)でしたたかなネズミは、鋭(するど)い歯を使ってムロカのすねに噛(か)みつき、次にとっておきの武器−後ろ足に隠(かく)した小さな爪(つめ)−をむき出しの足に突き立てた。邪悪(じゃあく)な精霊(せいれい)は苦痛(くつう)と怒(いか)りの叫び声を上げ、ネズミに飛びかかろうとして、思わず網を離してしまった。おかげで小さなカモは網から転げ落ちることが出来たのだ! 
 電光石火(でんこうせっか)、この機会を捕らえ、小さなカモは必死で逃げ出した。どこがどこやらわからないまま、満身の力を込めて羽ばたき、よろめきながら走った。まもなく彼女は気付いた。慌(あわ)てふためくムロカを軽々とかわして、水生ネズミが自分と並んで一緒に逃げているではないか。二人の耳には、猛(たけ)り狂って追いかけてくる恐ろしいムロカの吠(ほ)える声が、絶(た)え間なく聞こえていた。
 二人で息を切らして逃げること数分。「わしについておいで。早く、早く」水生ネズミはこう叫んだかと思うと、地中に大きく口を開けた深くて暗い穴の中へ滑り込んだ。とっさに、考えることも、躊躇(ちゅうちょ)することもなく、小さなカモはネズミの後を追った。下へ下へ、真っ暗な闇(やみ)の中へ。ついに柔らかい地の底に着いたとわかった時、彼女は心から安堵(あんど)した。たとえ、今いる場所が真っ暗でカビくさくても、とにかくひと休みして息をつくことができるのは幸いというものだ。
 少し落ち着くと、小さなカモは薄明(うすあ)かりのさすトンネルを見渡してみた。寒くて、不気味(ぶきみ)な感じだった。さらに水生ネズミが誇(ほこ)らしげにこう言った時、彼女はそこがますます暗く気味の悪いところに思えたのだった。「ここがわしの家なのさ」
 小さなカモはこの言葉にぞっとしてショックを受けたものの。何とか感じの良い声で助けてもらった礼を述べ、こう付け加えるのも忘れなかった。「賢(かしこ)くて親切なネズミさん、わたし、そろそろ家に帰らなくっちゃ」言い終わるやいなや、尻を振り振り、彼女は入口の方へ急いだ。だかしかし、一瞬のうちにネズミは立ち上がり、カモの行く手をふさいだのだった。 
 「いいや、だめだ」彼はきっぱりとこう言った。「帰るなんて言わせないぞ。一人暮らしにはもう飽(あ)き飽(あ)きしているんだ。おまえはわしと一緒にずっとここで暮らすのさ」
 「えっ、そんなこといやよ。いや、いや、いや!」小さなカモは金切(かなき)り声を上げた。「あなたとなんか、いたくない。おうちに帰りたい。おうちに帰りたい」
 これを聞いた年寄りネズミは激怒(げきど)した。黒くてビーズのように丸い目が、ギラギラと獰猛(どうもう)そうに輝き始め、鋭(するど)く尖(とが)った歯を剥(む)き出した。その上、前足を伸ばして小さなカモの頭をこづくのだった。
 「ムロカから助けてやったのは、誰でもない。この俺様だぞ」ネズミはこう言って一喝(いっかつ)した。「助けてやったんだから、今度はおまえはわしのものじゃ」小さなカモは絶望で目の前が真っ暗になり、冷たく湿った土にぺたりと座り込んですすり泣きを始めた。「なあ、身のほどをわきまえていい子にしていたら、何もしやしないよ」ネズミは優しそうな声でさらにこう続けた。「ただし、いいか。わしに歯向かったり、ギャアギャア声を上げたりしてみろ。この歯と爪でひどい目に遭わせるぞ」言い終わると、もう一度尖(とが)った歯を剥(む)き、カモを見下ろし、脅(おど)しをかけた。小さなカモは、これ以上言い争っても無駄(むだ)と悟(さと)った。打ちのめされ、心はただ悲しみでいっぱいだった。
 日々は過ぎていき、彼女はもう怖くて、気難(きむずか)しい年寄りネズミの機嫌(きげん)を損(そこ)ねないよう、必死(ひっし)で努めた。しかし、その間中ずっと脱出することを夢に見ていた。ネズミはほぼ一日中、カモを暗く深いトンネルの家に閉じ込めていたが、外に出して泳がせてやることもたまにはあった。そんな時にも彼はぴったりとカモにくっついて見張り、「逃げる気など起こしたら、容赦(ようしゃ)はしないぞ」と脅(おど)かすのだった。
 悲惨(ひさん)な毎日だったが、小さなカモはなんとか生き延(の)びていた。いつかきっと、再び自由の身となる方法を見つけられる、そんなすばらしい日がやってくることを、唯一(ゆいいつ)の心の支えとして、生き抜く決意をしていた・・・。
 そして、その日が来たのだった。
 小さなカモはいつも協力的で従順(じゅうじゅん)な振りをしていたため、意地悪で狡猾(こうかつ)なネズミも「カモの奴、わしと一緒の暮らしが、結構気に入っているようだな」と思い始め、次第に監視の目をゆるめるようになった。ある日、カモを泳ぎに連れ出した時のこと、気がゆるんでしまったネズミは、暖かい日差しのもと、目を閉じて川の土手で横になってしまった。常に目を配っていたカモはこれを見逃さなかった。
 年寄りネズミがうとうと居眠りをするのを見るやいなや、彼女はすばやく音を立てずに岸を目指して泳いだ。泳ぎ着くと、急いで岸に駆け上がり、ぶるっと羽根を揺すると、全速力で尻を振りながら走り出した。深いブッシュをくぐり抜け、ひたすら我が家を目指して。ようやく目を開け、カモがいなくなったことに気付いたネズミはびっくり仰天、かっと、頭に血が上った。最初、ネズミは、小さなカモが水草に絡まって沈んでしまったのかと思い、川底まで潜って探した。何度も繰り返し探したが、彼女は見つからない。そこで、水面を素早く泳ぎ回り、右に左に、遠くまで見渡してみたが、小さなカモの姿はどこにも見えなかった。
 「くそっ、やっぱりあの悪の精霊ムロカがあの子を連れて行ったに違いない。くそっ、なんてこった」ネズミは腹立たしげにひとりごとを言いながら、自分の穴倉へちょろちょろと消えていった。
 一方、小さなカモは、大慌(おおあわ)てでぎこちなく羽ばたきながら逃げていた。ブッシュをくぐりぬけ、飛び越え、死にものぐるいでわが家をめざして急いでいるところだった。いばらやとげが体を刺し、怪我(けが)をしても、痛みなど感じはしなかった。ついにうちにたどり着いた彼女を見て、仲間のカモたちは驚いたものの大喜びだった。皆、すぐに小さなカモをとり囲み、水や食べ物をくれたり、ひっかき傷で出血している体に痛みを和(やわ)らげるオイルを塗(ぬ)ってくれたりした。
 数日がたち、小さなカモは徐々に元気を取り戻した。無事にわが家に戻ることが叶い、本当に幸せな彼女は、二度と再び冒険に出かけたいなどと思うはずもない。小さなカモがうちに戻ってまもなく、他の数羽の若いカモたちが巣作りを始めた。そこで彼女も自分の巣を作ることにした。やがて、皆と同じように、暖かい小さな巣の中で、立派な二つの卵を抱くことができたのだ。誇らしくて、嬉しくて、小さなカモは天にも昇るような気持ちだった。大事な大事な卵たち。まるで若い母ガモの手本のように、彼女は愛情込めて卵を暖めた。
 一定の期間が過ぎ、孵化の時が来ると、あちこちの巣で卵がかえり、よその母ガモたちは、次々に生まれたてのふわふわのヒナたちを連れて、お披露目のパレードをした。そしてついに、あの小さなカモの赤ん坊たちも卵からかえった。ところが、何ということだろう。彼女は赤ん坊たちを外に出したくなかった。他人の目に触れさせたくなかったのだ。なぜなら、二羽の赤ん坊たちは少しも柔らかくなく、ふわふわでもなく、かわいくもなかったからだ。それどころか、彼女の子どもたちは、奇妙な姿の小さな生き物だったのだ。実に奇妙な!
 この生き物はガヤダリだった。黄色の柔らかい羽毛のかわりに、赤ん坊の体は硬(かた)い茶色の毛で覆(おお)われていた。カモのような嘴(くちばし)をもち、足には水掻(か)きがあるが、その足は二本ではなく、何と恐ろしいことに、四本なのだった。おまけに後ろ足には赤ん坊だというのに、早くも小さな鋭い爪がついていて、それはあの水生ネズミの爪とそっくりなのだった。母親になった小さなカモは二匹の赤ん坊がかわいくてしかたがないものの、他のカモに見られるのを恐れていた。しかし、とうとう、仕方なく二匹を巣の外に連れ出さなくてはいけない事態(じたい)になった。子どもたちに泳ぎの練習をさせなくてはならなかったからだ。
 心配していたとおり、彼女が二匹の奇妙(きみょう)な赤ん坊とともに現れると、前代未聞(ぜんだいみもん)の大騒ぎとなってしまった。皆は恐怖(きょうふ)に震(ふる)え上がった。
 「そいつらを、ここからつまみ出してちょうだい」と、口々にわめき散らした。「あっちへ行け! あっちへ行け! お前たちなんか死んじまえ。いつまでもここにいるなら、殺してやる!化けものめ!」
 小さなカモは激しく動揺(どうよう)した。赤ん坊たちは何が起きているのか理解できずに、ただ、どうしていいかわからず脅(おび)えて、母親の後ろに隠(かく)れていた。自分自身も混乱(こんらん)し、恐(おそ)ろしかったが、母親になった小さなカモは、今、何をすべきか、すぐに判断(はんだん)できた。双子(ふたご)の赤ん坊のガヤダリをここからできるだけ遠くへ連れ去り、そこで育てなければならない。彼女にはそうわかっていた。何とかして、自分の力で。水生ネズミに助けを求めることも考えてみたが、やはりそうするのはやめた。こんな奇妙(きみょうな)な子どもたちをすみかに連れていったら、ネズミだってカモたちのように怒(おこ)り出すに違いないと思ったからだ。小さなカモと子どもたちは、毅然(きぜん)として心の重い旅に出た。一家は何日も川をさかのぼって旅を続けた。山のふもとの暖かい洞穴(どうけつ)を見つけ、そこで暮らすことに決めたのだった。
数週間がたち、数ヶ月がたち、ゆっくりと時が過ぎるうちに、子どもたちは丈夫(じょうぶ)にたくましく育っていった。子どもの成長に満足していても、母ガモはいつもどこか悲しく、もの憂(う)げだった。別れたときに冷たい仕打ちをされたにもかかわらず、彼女は仲間のカモたちに会いたくて仕方がなかったのだ。もう一つ彼女を失望させることがあった。それは、子どもたちが大きくなるにつれ、少しも自分に似ないことだった。何と言っても最悪なのは、二匹がまるであの水生ネズミとそっくりに、地面を掘り、深く暗いトンネルの家に住んでしまったことだ。子どもたちは、彼女も一緒にトンネルに住んでくれるように懇願(こんがん)したが、それはできないことだった。所詮(しょせん)、彼女はカモ。空や緑を眺(なが)め、新鮮(しんせん)な空気を吸わなければ生きていけないのだ。結局(けっきょく)、悩みをたくさん抱(かか)えていたためか、哀(あわ)れなカモは次第(しだい)にやつれ果(は)て、死んでしまった。
 子どもたちは、悲しみを乗り越えて生きていった。時には孤独(こどく)を感じたり、恐ろしい目にあったりもしたが、やがて二匹に子どもができた。自分とそっくりな姿で卵からかえった子どもたちを見て、親となった二匹はほっとしたものだ。
 月日が流れ、この生き物の子どもたちが次々に生まれ育ち、やがてたくさんの数のガヤダリ一族へと発展した。ガヤダリたちは、数が増えるのにともない、異なる地域にどんどん進出していき、国中に広がった。彼らは川や水路に土手に穴を掘ってすみかを作った。そしてついに、その姿があちこちでよく見られる生き物となったのだ。
 もちろん「ガヤダリ」というのは、ユアーライイ語でカモノハシを意味する言葉である。



昔、クーボルという名前の孤児(こじ)の少年がいた。アボリジニは、昔から伝統的に部族の子どもたち皆を、かわいがり守ってきたものだが、いたいけな少年クーボルの親族はこの習(なら)わしに従わなかった。クーボルはまったくかわいがってもらえず、食べ物も満足にもらえないこともたびたびだった。
 ある時、とても深刻(しんこく)な干ばつが起こり、部族の掟(おきて)で、少ない水はできるかぎり平等に分け合う決まりになった。けれども少年クーボルは、自分の取り分さえ、親族に取り上げられてしまった。
 ある日、狩りの儀式が行われた。部族の誰もがキャンプを離れ、その儀式に出席することになっていたが、クーボルはひどく衰弱(すいじゃく)していたのででかけられなかった。身内は、クーボルが苦しんでいることなど眼中(がんちゅう)になかったので、彼は一人取り残されてしまった。身内連中は、クーボルが弱り果てて寝床から起きあがることもできないと思い、水入れを隠そうとさえしなかった。自分たちが帰ってくるまでにはクーボルはもう死んでいるだろうと、気にもしなかった。
 ところがクーボルは強い心をもった少年で、死ぬつもりなど毛頭なかった。皆が出かけていって見えなくなるとすぐに、何とか起きあがり、水入れまではっていき、ゆっくりと冷たい水を飲んだ。たちまち彼はほんの少し強くなったような気がしてきた。
 クーボルは元気を取り戻し、これから二度と喉(のど)が渇(かわ)いて苦しむことがないような方法を思いついた。木の皮でできた水入れを、まずクーボルの身内から部族の他の人たちのものまで残らず集めた。そしていくつかは近くのユーカリの木の二股(ふたまた)に分かれているところに置き、残りは低い枝につりさげた。それからクーボルは自分も木に登っていった。
 木の上でクーボルは静かに座り、昔教わった不思議な魔法の歌を歌った。その歌には不思議な強い力があり、木はゆっくりとぐんぐん伸び始めた。
 クーボルが歌うにつれ、木はますます大きくなり、とうとう他のどの木よりも高くそびえた。
 その夜、クーボルの身内や他の部族の人たちが戻ってくると、突然大きくなった木を見て、仰天(ぎょうてん)した。そしてクーボルが皆の大切な水を残らず持って、その木の上の届かないところまで登っていることがわかり、困ってしまった。
 「下りてこい! 下りてこい!」皆は叫んだ。「喉が渇いているんだ。水を返せ!」けれどもクーボルは聞こえないふりをした。数人の男たちがその木に登ろうとしたが、高すぎて無理だった。
 強行軍の後で、皆はくたくたに疲れ切っており、おまけに体がひどくほてっていて喉もからからに渇いていた。時間がたつにつれ、ますます喉が渇き、余計いらいらしてきた。とうとう皆は、魔法を知っている一人の老人のところを訪ねることにした。その老人は大変賢(かしこ)い人だったので、しばらくすると、魔法の力でその木に登ることが出来た。
 木の上で見張っていたクーボルは、老人が自分の方に登ってきたので、とても驚いた。しかも老人は、クーボルをつかまえると、乱暴(らんぼう)に叩(たた)いたり、ゆさぶったりしたのだ。「もうこれ以上ぶたないで。わけを話すから」とクーボルは叫んだ。しかし怒った老人は耳を貸そうとしなかった。彼はクーボルを頭の上に持ち上げ、高い木の上から地面めがけて激しく投げつけた。皆は、クーボルがぐちゃぐちゃのひと固まりになって木の根元でつぶれたのを黙(だま)って見ていた。
 少しの間、つぶれたクーボルの体はぴくりとも動かなかった。しかし、瞬(まばた)きをする間もなく、クーボルは少年の姿からコアラに変えられていた。彼の祖先の精霊(せいれい)がずっと見ていてクーボルを救ってやることにしたのだ。この奇跡を見た人々が驚いて叫び声をあげると、電光石火(でんこうせっか)の速さでコアラのクーボルは再び木によじ登った。
 もうクーボルは本当に安全だった。なぜなら魔法使いの老人までが、これを見てすっかりおびえてしまったからだ。老人は自分の魔法が役にたたなかったとわかり、すばやく木からおりてきた。それからしばらくの間、彼の部族の人々皆でコアラのクーボルを見上げて立っているのだった。
 この奇跡(きせき)を目の当たりにした人々は皆、クーボルのことをずっと恐がり続けた。そして皆はわかったのだ。クーボルには救いの精霊がついているから、もう水を必要としなくなったのだと。そしてもし、またクーボルをいじめるようなことをしたら、まして怪我(けが)をさせるようなことでもあれば、クーボルは人々への罰(ばつ)としてもっとひどい干ばつを引き起こすだろうと。
 それ以来コアラは高い木のてっぺんで暮らすようになり、他の動物と違って、生きるのに水を必要としないのである。
 アボリジニは代々この話を語り継いできた。人々はこの話に耳を傾けてよく理解し、コアラを葉の生い茂った木のてっぺんの世界で、そっとしておいた方が賢明(けんめい)だと決めている。

 
大昔、「夢の時代」も始まりの頃にはまだ太陽は輝いていなかった。
 あるところに部族を離れようと心に決めていた娘がいた。その理由は、自分が選んだ人との結婚を長老たちがどうしても許してくれないことだった。娘はがんとして誰の説得(せっとく)にも耳を貸そうとしなかった。
 そこで娘ははるか遠くまで逃げ、乾燥(かんそう)した岩だらけの場所に身を隠(かく)した。食べ物も水もない。眠るのに適した場所さえない。次第(しだい)に、空腹(くうふく)、喉(のど)の渇(かわ)き、疲労(ひろう)が彼女を襲ったが、それでも娘はあきらめて帰ろうとは思わなかった。すると、自分を力ずくで連れ戻そうとやってくる部族の男たちが見えた。そこで娘はどんどん遠くまで走っていき、あげくの果(は)てには、辺りで一番荒れ果てた土地に逃げ込んでしまった。
 小枝や岩にぶつかり、傷だらけ、あざだらけになった娘は、たちまちのうちに死にそうなほどへとへとに疲れ切ってしまったが、それでもなんとか力を振り絞り逃げ続けた。最後には、祖先の精霊たちもあまりにも娘がかわいそうになり、そっと天上の静かで安らかな所へと引き上げてやったのだった。
 娘は天上界で長い時間、ぐっすりと眠った。目が覚めて気がつくと、食べ物も水もたっぷりとある。そこで彼女はキャンプのたき火を灯(とも)した。彼女は一人きりとなったが、恐れるものはなにもなかった。
 「暖かくて安全な所にいられるだけでも幸せだわ」部族のもとへは戻らずに、永遠にここで一人で暮らそうと娘は心に決めた。
 はじめのころ、娘は部族の人々を恨(うら)んでいた。しかし、天上界から見下ろしてみると、男も女も皆、自分がいなくなったことを悲しんでいるではないか。ほどなく、娘の氷のような心も溶け始め、二、三日もたたないうちに地上の住まいが恋しくて仕方なくなった。だが、娘は自分がもう天上界の人となり、二度と地上に戻ることはできない身だと悟ったのだった。「いったい、どうしたらいいのでしょう」娘は心の中でつぶやいた。
 「私はもう地上には戻れないけれど、何とかみんなのお役に立つことはないかしら」
 そこで娘は皆を助けるよい方法を考えついたのだ。部族の人たちは凍(こご)えていた。皆が毎日仕事に追われて、天上界の娘のようにキャンプのたき火の側に座って暖(だん)をとる暇(ひま)などなかったからだ。
 「そうだわ。私が火をつくってあげましょう。地上の忙しい人たちがみんな暖かくなるぐらい、大きな大きな火を」娘はそう決心した。
 それからというもの、彼女は昼の間中ずっと地上の人々に温(ぬく)もりを届けてやった。夜になると娘は火を消す。それというのも、夜になれば人々もキャンプのたき火のまわりに座る余裕(よゆう)ができるからだ。
 地上の日々とが喜んでくれるのを見て、天上界の娘は、毎日欠かさず新しい火を灯(とも)そうと思うのだった。まもなく彼女の部族の人々は、天上の火を探すのを日課とするようになった。すべての地上の人々がその火の暖かさに感謝するようになり、やがてその火は「太陽」と呼ばれるようになった。
 若い娘にとって、ひとりぼっちの孤独な年月は長く寂しいものだ。まして永遠に家族から引き離されたとあってはなおさらであろう。しかし、地上の人間たちを毎日暖かく照らせることが、この娘にとって何よりの喜びとなったのだ。





本稿をまとめるにあたり、左記の二冊の本を参考にしました。
伝説の紹介は、「アボリジニの伝説」からの抜粋です。

『参考図書』

「アボリジニー神話」 「オーストラリア・アボリジニの伝説」
−ドリームタイム−
著 者 K・ラングロー・パーカー 著 者 ジーン・A・エリス
訳 者 松田幸雄 訳 者 森 秀樹 監修
発行所 青土社 発行所 大修館書店